やまのぼブログ

山登りなどの記録

石鎚山 西日本最高峰で絶景に出会う(前編)

2022年10月12日〜13日、石鎚山に登りました。

石鎚山は四国山地の西部、愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する山です。西日本で1番高い山で、日本百名山、新日本百名山、花の百名山に選ばれてます。また古くから信仰の対象となっている山でもあります。

登山道は石鎚登山ロープウェイの駅から表参道を歩く成就社ルート、面河渓(おもごけい)から登る面河ルートなどがありますが、今回は土小屋ルートで行きました。土小屋を出発して鎖場経由で弥山に登り、天狗岳まで往復。山荘で宿泊して翌日迂回路を経由して土小屋に下ります(迂回路以外同じルートなので2日目の線が隠れてます)。

登山口の土小屋までは、新居浜駅の近くでレンタカーを借りて、国道11号線〜国道194号線〜UFOライン経由で2時間程度の道のりです。UFOラインは高知県いの町の道路で、標高1300〜1700mの尾根沿いを走る全長27kmの道です。あいにく雲が広がってるのが残念。道中の画像は車を適切に停めてから撮影してます。

このピークは自念子ノ頭(じねんごのかしら)。UFOラインはまさしく天空の道路で、眺望が良いところでは思わず笑ってしまうくらい気持ちよくて、もし晴天だったらヤバかったかもしれない。

石鎚山が見えてきました。右手前にある特徴的な形の山は子持権現山です。石鎚山の左奥の山は二ノ森、標高1930mで次郎笈に次いで四国で4番目に高い山です。

こちらは瓶ヶ森(かめがもり)、標高1897mで四国で5番目に高い山です。この辺りは吉野川の源流域です。

子持権現山の近くから。登山ルートは鎖場だけだそうです。

12時10分、土小屋の駐車場に到着。あれが石鎚山かなと思いつつ、カメラを構えてる人がいたので尋ねると、その通りでした。

土小屋テラスという施設で食事、親子丼をいただきました。登山届もここで出します。車に戻って出発準備。登山アプリに水場のマークがあるので探したけどなかったので自動販売機で水を購入して、13時30分、登山開始。

登山道は整備されてるけど、日当たり悪いところではぬかるんでたり木道が滑りやすかったりします。そういえば1箇所、人とすれ違う時に足を滑らせて左手をついたんだけど、柔らかい土のところだったので怪我せずにすみました。

笹に覆われてるところは開放的な感じ。

中央付近の山腹に石鎚スカイラインが見えます。面河渓から土小屋まで標高差850mの道です。

稜線付近に雲が広がってます。コンタクトレンズを付け忘れてたので途中の休憩所で装着。メガネだとズレてきたり、なにかの拍子に外れたら大変なので、登山の時はコンタクトのほうが多いです(コンタクトも外れたら大変ですけどね)。

木々の間から瓶ヶ森が見えました。

木道の下がこんなになってると知ったら進めない人も居るかも。

山頂の下を通過。落石があると危険なので止まらずに進みます。

ここも石ゴロゴロで危なっかしい感じ。ブログを書く時に調べたら、第2ルンゼという場所で、この年の5月に雨で橋が壊れて修復されたそうです。

雲海に飲まれそうで飲まれない瓶ヶ森。

15時10分、二ノ鎖元小屋の下の鳥居に到着。すれ違い待ちもあったけど時間かかりました。ここで成就社ルートと合流します。小屋のベンチで少し休憩。

いよいよ鎖場の始まり。ヘルメットをかぶって登ります。まず二ノ鎖、長さは65m。ちなみに一ノ鎖は成就社ルートにあるので今回は通りません。

足を掛けられるところが少なく、腕力で登った箇所もありました。鎖の輪に足を掛けて登るそうだけど、登山靴はほぼ入らないと思います。ちょっと苦戦しましたが二ノ鎖をクリアしました。

二ノ鎖のあと、補助的な細い鎖がついた岩場が2箇所ほどありました。

三ノ鎖の手前の広場から。雲海が稜線でせき止められてました。

土小屋の辺りで滝雲が流れてました。動画じゃないから流れてませんが。

この北壁をクライミングする人もいるそうです。

そして三ノ鎖、長さは68mです。

たぶん15mくらい登ったトコで撮ったけど、高度感伝わるでしょうか。

登ってる途中で携帯に着信。今夜泊まる山荘からでした。出発前に「2時間くらいで着くと思います」と伝えてたので確認してくださったようです。安全なところで電話をかけて、もうすぐ到着する旨を伝えました。

三ノ鎖もクリア。鎖は全部で4本ありました。登り用2本、下り用2本と思われます。

着いたー!

16時5分、弥山(1974m)に登頂しました。日本百名山6座目です。石鎚神社の頂上社があります。

向こうに見えるのが最高峰の天狗岳(1982m)。見る場所によって形が違って見えます。

神社の隣に本日の宿、石鎚神社頂上山荘があります。到着が遅れたことを詫びて受付を済ませました。

天狗岳まで片道15分、夕拝の時間までに間に合いそうなので行くことに。いきなりこれを下りるの?って感じの岩場(画像は翌朝撮影)。先がどうなってるのか分からないので、慎重に下りました。

下りてきたところ。高さは5mくらいかな。途中まで鎖があるので、足を置くところを探していけば問題ないと思います。ここしか通れないので、登る人と下りる人がいたら譲り合って、渋滞が発生したら焦らない急かさないことが大事です。

稜線を進みます。

南側の風景。二ノ森が間近に見えます。手前の谷は面河川の上流で、仁淀川へと流れていきます。

北側の風景。成就社ルートが見えます。

これは南尖峰(1982m)。そこまでは行かないけど、巻道を歩いたようで、ちょっと行き過ぎました。

ということで、裏から回っていくことに。ん?なんかいた!

天狗岳(1982m)に登頂。いま、西日本で一番高い場所にいる人になりました。

天狗岳から見た弥山。来たばかりだけど引き返します。

こんな切れ落ちたところで「もし突風にあおられたら」と思うと、無風でもギリギリ攻めて歩く勇気はありませんでした。

たぶん100m以上ありそうです。

弥山に戻ってきました。

夕拝に間に合いました。

天狗岳にいる時に日が差してほしかったな。

さて、夕拝が終わってから、ちょっとガスってるけど虹のような輪が見える。これは、もしかしたら「アレ」が見えるのでは。

瓶ヶ森の近くの雲に自分の影が映ってます。

そして、ブロッケン現象が見えました!はじめて見たけど、周りの人達も興奮気味。

ガスが濃くなると虹がはっきりと出るけどシャッター押せないので、ガスが薄くなった時に置きピンして撮れました。

ちょっと霞んでるけど雲が切れたところに街と海が見えました。方向的に西条市かな。

この年は台風の影響で葉がかなり落ちてたそうで、もし残ってたらどれほど綺麗だったのかな。

さて、まだまだ夕暮れの風景を見たいけど、食事の時間なので一旦宿に戻ります。

夕食はカレーと揚げ物とデザート(食べかけの画像ですみません)。おかわり自由で2杯目をいただいたような気もするけど、8分後には次の画像を撮影してるので、おかわりしなかったのか、猛スピードで食べたのか。

ということで撮影に戻りました。

日没まであと10分もありません。

夕暮れの山は時間とともに表情を変えていきました。

そして石鎚山を撮影する神職さん。いや、そうじゃないかもしれないけど。

頂上社と山荘の間には以前使ってたと思われる鎖が置かれてました。

石鎚山も撮りたいけど夕陽も撮りたい。

日没の時間になりました。あの山は九州の山なのか、それとも愛媛の山なのか。

日が落ちたし登山時の服のままだと肌寒いので、宿に戻りました。

SNS仕様の看板、ちょっとブレちゃってますが、改めて見たら日付が違いました。

雨乞いする人もいるのかな。

21時に消灯。翌日に備えて早めに横になりました。すぐには寝付けませんでしたが22時くらいには眠れたと思います。

後編へと続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

奥穂高岳 穂高連峰の最高峰に挑む(後編)

奥穂高岳前編はこちら↓

yamanobojp.hatenablog.com

体調万全とは言えないけど少し楽になったので登ることにしました。水と食料と雨具を入れたサブザックとカメラバッグを持って、ヘルメットを装着して、7時に出発。涸沢小屋から登っていくと樹林帯の途中で紅葉してるところがあったので、吊尾根をバックに撮影。

樹林帯を抜けて開けたところで少し休憩。ザイテングラートの取り付きまでは傾斜が緩やかに見えるけど、それでもあと100m以上登ります。

この尖ってるのは涸沢岳の北にある涸沢槍で、登山道はピークを巻いてるけど、北穂高岳〜涸沢岳間はかなり難度が高いそうです。

8時20分、ザイテングラートの取り付きまで来ました。

さて、登っていきましょうか。

まだ100mも登ってないと思うけど、取り付きに向けて歩く人がかなり小さく見えます。

富士山みたいな山が見えて「頭だけ見えてるのかな」と思い込んでたけど、どうやら蓼科山だったようです。

日陰の岩がひんやりして気持ちよかったです。六甲山の岩場での練習の甲斐あってか、特に難しく感じることはありませんでした。

とはいえ体力的に厳しいので、途中で何度か小休憩を取りながら歩いて、徐々に山荘が近付いてきました。

10時、穂高岳山荘(2996m)に到着。予想以上に時間かかりました。山の中央付近に人がいるのが見えますが、いきなり梯子と鎖場があります。

槍ヶ岳から奥穂高岳を経て西穂高岳へと続く稜線は、長野県と岐阜県の県境になってます。ということで岐阜県側の風景、立山から遠くに見えた笠ヶ岳とご対面。

ジャンダルムも見えました。標高3163mで槍ヶ岳に次ぐ高さだけど、奥穂高岳の一部とみなされてランキングから除外されているそうです。

700mほど登ってきました。広いテント場が小さく見えます。

10時20分、行動再開。梯子を登る前に撮影。梯子は2つ合わせて10mくらい。カメラバックが邪魔になるのでザックに入れて、しっかり三点支持で登りました。

30分ほど歩いて、振り向けば槍ヶ岳が見えたので、ザックからカメラを取り出しました。当然ですが立山で見たのよりも大きく見えます。

左奥の立山方面は雲がかかってました。

梯子を過ぎたら難しくはないけど、浮石でバランス崩したり誤って転げ落ちないよう注意です。

ジャンダルムの上には5〜6人居るようです。途中にも何人か見えました。

山頂が見えました。撮影の順番待ちの列が出来てました。

11時15分、奥穂高岳(3190m)に登頂。日本百名山5座目です。この石積みは標高2位の北岳と同じ高さになるように積み上げられたそうで、上に穂高神社嶺宮の祠があります。

順番待ちの間に風景を撮影。こちらが本物の富士山(登る途中にも見えてました)。右に甲斐駒ヶ岳や北岳など南アルプスの山々も見えます。

ズームを広角にして、手前に前穂高岳と明神岳、奥に八ヶ岳、南アルプス、中央アルプスが見えます。

右には上高地方面。あそこから登ってきたんやなぁ、と感慨深く思いました。乗鞍岳や御嶽山は雲がかかってます。

そして間近にジャンダルム。いやぁ、壮観ですなぁ。

祠の向かいにも石積みがあり、こちらで待機。ここまで来たら順番待ちもあと少し。展望図があって山々が円状に描かれてるけど、どうやったらこう描けるんでしょうか。

画像は自分の一つ前の方です。なぜか撮影担当の方がいて、自分も携帯を渡して撮影していただきましたが、こちらのほうが雰囲気良いのと、誰もいない状態を撮れなかった(次々入れ替わる)ので。列に並んでから自分の番まで30分以上かかりました。

下山する前に少しだけジャンダルム方面へ。奥穂高岳から西穂高岳までは熟練者向けの国内最難関ルート。看板のところまで行きました。

この先に行く日は来るのかな。もし行ったら無事帰れるのかな。

さて、戻ります。11時55分、下山開始。

槍ヶ岳ももうすぐ見納め。登れる日が来るのを楽しみにします。

翌年登りましたけどね。

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岐阜県側は雲に覆われつつありました。当初は涸沢岳にも登ろうと考えてたけど、この調子だと眺望なくなるかなと思ったのと、下山の余力も考慮してパスしました。

梯子を下りる前に撮影。カメラはザックの中なので携帯で撮りました。

12時35分、穂高岳山荘に到着。担々麺をいただきました。水がなくなりそうだったので1リットル購入。翌年は水不足でこの時期には販売休止してたそうだけど、麓から持って行くとしたら何リットル必要なのか見当もつきません。

13時、行動再開。登山道の近くにテント場があります。

涸沢のテント場からは見えなかった常念岳や蝶ヶ岳が見えます。40分ほどでザイテングラートの取り付きまで下りました。

再び樹林帯へ。常念岳をバックに紅葉撮影。

色がくすんでるのは見頃過ぎと思ってたけど、緑から赤に変わるところだったのかも。

14時30分、涸沢小屋に到着。ソフトクリームをいただいてからテント場に戻り、受付に行ってこの日の分の手続きをしてきました。テントがさらに増えて約1000張りあったそうです。

さて、翌日は北穂高岳に登る計画を立ててましたが、奥穂高岳に登れて満足したのと、体力消耗した状態でさらに難度が高い山(奥穂高岳の難易度はC、北穂高岳はD)に登るのはリスクが高いと判断し、下山することにしました。

問題は交通手段。直行便は満席だけど、平湯温泉発着のバスは比較的空きがあることが多いというのを知ってたので確認すると、空席があって即予約。あとは無事下山するだけです。

夜の撮影はせず、21時くらいには寝たのかな(記憶が曖昧)。

 

3日目。最終日の朝。5時には起きてたと思います。

前日に続きモルゲンロートを見れました。この日は涸沢ヒュッテではなくテント場からでしたが、涸沢ヒュッテからのほうが見栄えが良いと思いました。

飛行機雲が流れてきて涸沢槍にかかりました。

ゆっくりテントを撤収してお向かいさんとお別れして9時頃に下山開始。来た時は1枚もなかったコンパネが積まれてました。埋もれた石が少し気になったので、あればより快適になったと思います。

さよなら涸沢、また来ます。

パノラマコースに少し寄り道。9時過ぎてるし技術的にもまだまだなのでここから下山しないけど、少し歩いたところにある撮影スポットまで行きました。

紅葉は物足りなかったですが、天候に恵まれて良い山行でした。って、上高地まであと6時間かかるんですけどね。

向こうに東天井岳から大天井岳への稜線が見えました。

涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐。テント場や奥穂高岳に直行する場合は右のほうが近いようです。

だいぶ下りてきました。

登りでもほぼ同じ場所で画像撮ってました。平日でも登ってくる人が多く、何度もすれ違い待ちがありました。

10時45分、本谷橋に到着。橋は2つあって、これは下の橋。

軽く休憩してから再開。11時50分、横尾に到着して軽く休憩(画像はありません)。徳沢に向かう途中、学生らしき団体さんのうち一人の登山靴のソールが剥がれかけてて、最終的に自ら剥がしてたんだけど、平坦な帰り道だから良いと判断したのかな。

12時45分、徳沢に到着。徳澤園でカレーをいただきました。

デザートのソフトクリームもいただきました。涸沢小屋と同じ値段だけど量が多いのでお得な気分です。食事込みで30分くらい休憩しました。バスターミナルに15時頃には着きそうです。

画像は明神への移動中。14時、明神に到着して自動販売機で飲み物購入。涸沢と比べると半額でした。

宿泊した小梨平まで戻ってきました。

河童橋の手前。この綿毛の植物はクサボタンかな。

14時45分、河童橋に到着。あそこに登ったんやなと、改めて感慨深く思いました。穂高連峰の最高峰、日本3位の山、奥穂高岳に。

15時、上高地バスターミナルに到着。15時30分のバスに乗って平湯温泉で日帰り温泉に入って、高速バスで帰路につきました。

体力的にたいへんでしたが、技術的には落石などせず歩くことができたので、とりあえず及第点かな。登れる体力があるうちに、いろいろ登れたらと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

奥穂高岳 穂高連峰の最高峰に挑む(前編)

2022年9月30日〜10月2日、奥穂高岳に登りました。

奥穂高岳は長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる北アルプスの山で、標高は日本で3番目に高く、日本百名山、新日本百名山、花の百名山に選ばれてます。穂高連峰の中央に位置しており、北には北穂高岳や涸沢岳、南東には前穂高岳や明神岳、南西には西穂高岳やジャンダルムなどがあります。槍ヶ岳と並んで多くの登山者が憧れる山で、非常に難度の高いルートもありますが、涸沢(からさわ)からザイテングラート経由で登るルートは、ある程度の岩場経験と体力があれば登ることができます。立山に続き、二度目の北アルプスにして奥穂高岳を選ぶとはハードルを上げすぎかもしれませんが、体力的に厳しい山には登れるうちに登っておこうという考えです。これがダメなら槍ヶ岳なども無理だろうということで。

夜行バスが取れなかったので前日のうちに上高地入りしました。
前日の様子はこちら↓

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1日目は小梨平を出発して、明神、徳沢、横尾を経て涸沢へ。2日目は奥穂高岳まで往復。3日目は1日目と同じルートで下山して(ルート図では1日目の線と重なってほとんど隠れてますが)上高地に戻ります。当初3日目は北穂高岳まで往復し4日目に下山予定で、登山届を事前にインターネット経由で提出してましたが、さすがにハードル上げ過ぎと分かり変更しました。

さてさて、5時15分、まだ暗いうちに小梨平を出発。今回も20kg以上担いでますが、朝イチのバスで来たと思われる人達がすごい速さで歩いてきてどんどん抜かされました。同じような装備なのに、どんな体力してるんだろう。徐々に明るくなって明神岳に陽が当たりはじめました。この年の夏に、心拍数や血中酸素濃度などが測定できる腕時計を購入して、立山に登った時から使用してました。以前はついついハイペースで歩いていたので、心拍数が上がりすぎないよう意識するようになりました。

5時55分、明神に到着。お手洗いに寄って少し休憩しました。この奥には穂高神社の奥宮や明神池がありますが、今回は立ち寄りません。

クマ出没注意地帯を通るので鐘を鳴らしました。鈴は付けてるけどあるものは使わないとね。

6時45分、徳沢に到着。キャンプ場にたくさんテントがありました。以前は牧場だったそうです。

徳澤園はまだ営業時間前だったようです。横尾に向かう途中、対岸に猿の群れがいるのが見えました。

7時45分、横尾に到着。ここまでの道はなだらかだけど、思いのほかアップダウンがありました。ここから先、涸沢まで水場がないので水を補給しておきます。あ、この画像は避難小屋で、左のほうに立派な山荘や休憩場所があります。

20分ほど休憩して行動再開、横尾大橋を渡ります。

前穂高岳が見えました。

この絶壁は屏風岩。かつては横尾大橋の近くまで氷河があったそうなので、侵食によってできたのかな。横尾からは徐々に登りがキツくなっていきます。

9時15分、本谷橋(ほんたにばし)に到着。すれ違い待機もあったけど、まずまずのペースで来れました。15分ほど休憩。たくさんの人が休憩してました。

行動再開して歩いていくと横尾本谷が見えました。左奥の山は南岳と思われます。

石がごろごろ。青ガレという場所です。

「休まずに進め!!」とのことです。消えかけてる看板にも「落石注意!!休まずに進め!!」と書かれてました。ということで、撮影したら休まず進みました。

途中で何度か休憩を取りながら登って行くと涸沢が見えてきました。ここからが長いとは聞いてたけど、ホントに長くてしんどかった(約1時間かかりました)。

12時15分、涸沢に到着。横尾を出てから4時間かかりました。紅葉は、まあこの程度という情報は知ってたので特にがっかりすることもなく、でも滞在中に紅葉が進めばいいなという期待もありました。

テント場の正式名称は国設涸沢野営場。たくさんテントが張られてましたが、まだまだ余裕はあるようです。

先にテントの設営場所を押さえるつもりでしたが、空腹&水分補給のため食事優先。涸沢ヒュッテでラーメンと飲み物2本を購入。1本はすぐになくなりました。

吹き流しが風に吹かれてなびいてます。左の二つが北穂高岳の北峰と南峰かな。

食事が終わってテント設営。今回はザックに入りきらなかったので外付けバッグを付けました。というかコンパクトに収納するのが下手なのか、それとも単に持っていくものが多すぎるのか。あと、当時はマットをサイドに付けてましたが、ザックの下に取り付けられるのを翌年知りました。

あまり良い場所が空いてなくてやや傾斜&埋もれた石ありの場所に設営。しばらく休憩してテントから出たら、目の前の良い場所が撤収してて、その後、他の人が設営してたので「タイミングよかったですね。」と声をかけたのをきっかけに、いろいろお話しさせていただきました。

テント場からは常念山脈の横通岳が見えます。燕岳から蝶ヶ岳へのルートはパノラマ銀座と呼ばれるそうで、槍ヶ岳から穂高岳などの山々をパノラマのように見ることが出来るそうです。

14時頃、行列に並んで受付を済ませました。当初は3泊する予定だったけど、どうなるか分からないので1泊だけにしました。

テントの設営許可証(翌朝撮影)、結構でかいです。

まだ15時ですが、早くも陽が隠れました。真ん中のピークが奥穂高岳の山頂かな。

手書きの案内板がありました。自分は絵が上手くないのですごいなと思います。

前穂高岳の上に三日月。夜には月明かりが無くなるので星空が期待できそうです。お向かいさんも関西の方で、六甲山の最難関ルートの大月地獄谷などにも行かれるそうで、今回はジャンダルムまで往復予定と話されてました。ここに来るだけでも体力的に厳しかったので奥穂高岳の登頂は無理かもと思ってたけど、「ここまでテント担いで来れたなら大丈夫。」とのことでした。

立山の時と同様、カロリーメイトはパンパンに膨れてます。当時は外箱ごと持っていってましたが、かさばるしゴミになるだけなので、個装袋だけ持っていくようになりました。ちなみにカロリーメイトはフルーツ味一択です。一時生産中止になって困りましたが再開したのでよかったです。あとエアマットを購入しました。夏の立山ではフォームマット&3シーズン用のシュラフで寒く感じたし、さらに朝晩冷えるので。今回は5度前後まで下がったと思うけど、保温性の高い肌着に着替えて、ダウンジャケットやダウンパンツを着用したのもあって寒くはありませんでした。服装の違いも大きいかも。

18時すぎて、陽が落ちてからのお楽しみ。テントの灯りがきれいでした。涸沢ヒュッテのデッキでは大勢の人が撮影してました。

テントに戻って19時頃、星空撮影。今回も夏の大三角と天の川。立山の時と同様、小型三脚を持っていきました。周りがコンロ使ってたりヘッドライトで明るかったので、もっと離れた場所で撮影するべきでした。

かなり体力消耗したし高山病気味。とりあえず一晩寝て、翌朝起きた時の体調をみて考えることにしました。

 

2日目。たぶん4時くらいに起きて食事。まだ体調よくないけど、朝のお楽しみを見るため、日の出前にテントを出て涸沢ヒュッテのテラスで待機。

5時40分頃、モルゲンロートを見れました。

立山の時はほんのりだったけど、よく染まってました。

5分もすれば赤みはなくなり、テント場に戻りました。1年前に地震が発生して、あちこちで落石があり一時騒然となっていたのを動画で見ました。滅多にないと思うけど、何事もないことを願います。

さて、1時間ほど休んでると少し体調が良くなってきたので登ることにしました。

後編へと続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

上高地 神が降臨する地で大自然を満喫する

2022年9月29日、上高地を散策しました。

上高地は長野県松本市の梓川上流にある景勝地です。標高約1500mの高所にあるので、夏は涼しく冬は寒さが厳しくなります。釜トンネルが閉鎖される冬季以外は一般の観光客も訪れますが、なかでも梓川にかかる河童橋から望む穂高連峰は上高地を象徴する風景であり、橋の周辺は多くの人で賑わいます。

本来の表記は「神垣内」で、穂高神社の祭神が穂高岳に降臨し、穂高神社奥宮と明神池に祀られていることに由来するそうで、「神降地」という当て字もあるようです。

上高地に行くのは今回がはじめて。翌日から奥穂高岳に登るのが目的ですが、夜行バスが取れなかったので前入りして小梨平で宿泊して翌朝出発することにしました。ということで、朝から高速バスに乗って移動。

釜トンネルを抜けると大正池と穂高連峰が見えてきました。

13時20分、上高地バスターミナルに到着。昼飯はバスターミナル近くの食堂でカツ丼をいただきました。食堂に入る時、大きなザックは外に置くというのを知りました。

本物の河童橋とご対面。そしてその向こうには穂高の山々。素晴らしい!

真ん中あたりに奥穂高岳。右端に前穂高岳が辛うじて見えます。奥穂高岳から左に馬の背、ロバの耳、ジャンダルムと続き、大きく下って天狗岩が見えます。

さらに左には西穂高岳。ここからだとどれも同じような高さに見えて、どれが山頂なのか、当時は分かりませんでした。

前穂高岳の右には明神岳。この山は一般の登山道がないそうです。

翌朝のテント撤収の手間を考えて、小梨平のケビンに泊まることにしました。

定員4名の部屋なので1人で使うには十分な広さです。受付でシーツや懐中電灯などを渡されます。お手洗いは共用だけど、台所や調理器具なども備え付けられてます。

さて、大正池まで散策します。今回のルート図。行きの途中で田代池に少し寄り道する以外は単純な往復で、普通に歩いて片道1時間程度の道のりです。焼岳の位置関係が分かるようにしたので、ルートが右に寄ってます。

14時30分頃に出発。梓川の支流も水量が豊富です。

梓川沿いを歩いていきます。途中で振り返って1枚。

つい先日クマが出たようです。時間的にも同じくらい。一応クマ鈴は付けてるけど遭遇しませんように。

川の水がエメラルドグリーンに見えてすごくきれい。

田代池の手前の分岐から。池の画像も撮ったけどボツにしました。

木道を歩いて大正池に向かいます。

15時30分、大正池に到着。時間的に焼岳は思いっきり逆光になるのは分かってましたけどね。大正池は1915年(大正4年)焼岳の噴火によって梓川がせき止められてできた池です。

穂高岳方面。携帯画像(上)のほうがきれいに見えます。カメラの画像はRAWファイルを現像してるけど、なかなか上手く修正できないことがあります。

ここからだと前穂高岳もある程度見えます。

17時頃に河童橋まで戻りました。夕焼けを背景に焼岳と梓川。

他にも撮影したり景色を眺めたりして小一時間居ましたが、肌寒くなってきたので宿に戻りました。携帯の電波が入りにくいのが残念でしたが、布団で寝ることができるのはありがたいです。食事して翌日に備えて21時くらいには寝たのかな(記憶が曖昧)。

奥穂高岳前編へと続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

大和葛城山〜金剛山 はじめてのコンカツ(後編)

前編はこちら↓

yamanobojp.hatenablog.com

改めてルート図。後半は水越峠から金剛山に向けて登ります。

11時20分、水越峠(517m)に到着して、大阪府側に少し進んだところにあるゲートから後半開始。ゲートの近くにある東屋は使用できない状態だったので、休憩取らずに歩きました。水越峠まで400m下ってからの600m登り返しです。六甲の縦走路の一番標高差がある鍋蓋山〜市ヶ原〜摩耶山よりもアップダウン大きいです。

30分ほど歩いたところに「金剛の水」という水場があり、コップや泥落としのブラシなどがありました。

コップは見覚えのあるプリンカップでした。なんか久しぶりに食べたくなってきたぞ。ステマか?水は冷たくておいしかったです。

まだまだ舗装路を歩きます。

カヤンボという場所で橋を渡るけど、道なりに歩いてしまいました。3分ほど歩いたところで登山アプリから警告。ある程度コースから離れたら警告が出るけど、道が折り返してるので警告出るまで時間がかかったようです。計5分ほどロスしました。ちなみにカヤンボというのは茅場のことだそうです。

水争いがあった水越川の上流。さらに上流にもみじ谷というバリエーションルートがあり、冬は氷瀑ができるそうです。

尾根に登っていく途中、標識が埋もれてました。

どんどん登っていきます。

旧パノラマ台というところで軽く休憩。

少し眺望が開けて奈良盆地が見えました。

左下に畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)。右奥の高い山は高見山かな。

その右のほう、国見山があると思うけど、どれかは分かりません。

樹林帯は日差しや風が弱まるし、個人的には景色は時々見れたらいいと思うので、よほどのことがない限り嫌ではないです。

ちょっと開けたところで大和葛城山が見えました。同じくらいの高さまで登ってきたようです。標高1000mの手前あたりから、急登というほどでもないけど階段の連続で、一息つくか迷いつつ登り切りました。関西の山で1000m超えたのは、伊吹山と大台ヶ原に続いて3回目です。大台ヶ原はスタート時点で超えてますけどね。

一ノ鳥居に到着しました。山頂は鳥居の向こうですが反対に進みます。

途中で賑やかな声が聞こえて、少し進むと案内の人が居て、大阪府の最高地点(1053m)があると教えてくれましたが、そちらには寄らずに展望台へ向かいました。ここでダイトレのルートを離れます。2週間後に大会があるようで、練習してる人もいたかも。

南西には和泉山脈。右のほうに岩湧山があるけど、どれかよく分かりません。良い山らしいので行ってみたいと思ってます。真ん中あたりの低いところが紀見峠で、その向こうは和歌山県です。

北には湧出岳。左端の山が金剛山最高峰の葛木岳と思われます。

南東には大峰山脈が見えました。六甲山からはあまり見えないけど、ここからだと結構見えるんですね。

こちらは山上ヶ岳や大普賢岳など。どれがどれかはよく分かりませんが。

こちらは関西最高峰の八経ヶ岳や弥山など。どちらも山奥なのでアクセスがたいへんそうです。

展望台から少し下ったところにカタクリが咲いてました。近くに咲いてるのがなかったのでズームで撮影して、さらに切り取りました。

近くにあったのはまだ咲いてませんでした。

さらに下ったところ、ふきのとうが咲いてました。実物見たことなかったけど、たぶんそうだろうと思って撮影して画像検索したら正解でした。

金剛山ロープウェイの金剛山駅付近に福寿草が咲いてました。福寿草を見るのも初めて。2月頃から咲いてるから、もう終わってるかなと思ってたけど間に合いました。

もっと大きい(直径10センチくらい)と思ってたけど、小さい花なんですね。なかには花びらが傷んでたり終わりかけてるのもあったけど、何度も開いたり閉じたりしてたんやなぁと思うと、その姿も愛おしく思えてきました。金剛山ロープウェイは日本唯一の村営のロープウェイでしたが、2018年の大阪府北部地震後に強度不足が判明し、翌年休止になり、再開されることなく2022年に廃止が決定したそうです。

さて、山頂方面へ向かいます。ちょっと背の高い笹やぶを抜けて、二度目の一ノ鳥居。

最後の坂とのことで、頑張って登ります。

葛木神社に着きました。葛木岳(1125m)の最高地点はこの神社の境内にあるけど、神域となっているので立ち入ることは出来ません。まぁほぼ最高地点ということで登頂としましょう。

山頂から高さ50mほど下りて売店を通り過ぎます。

15時ちょっと前、山頂広場(国見城址)に到着。15時のライブカメラに写るために、人が集まってきました。ちゃんと数えてないけど15人くらい居たかな。1時間単位だと思ってたけど10分おきに記録されてるそうです。翌日確認しようと思ったら、すでに上書きされてました。まぁ、自分は写ってないからいいんですけどね。

昨年、広場の北西の崖が崩落したそうで、崩落が進まないようブルーシートがかけられてました。というか、めくれてたら意味ないのでは。

遠くに六甲山地がうっすらと見えました。かすんでるのが残念。

15時過ぎたらすぐに人がいなくなったので、いつものやつパート2。数日前まで雪が少し残ってたみたいだけど、雨が降ったのと暖かさですっかり融けてしまったようです。

20分ほど休憩して、千早本道(ちはやほんどう)で下山します。あと3km。

少し下りたところに九合目の標識。メインルートなので、とても整備されてました。

途中でつかれてペースが落ちたけど、ちょっと重心と関節を意識してみたら良い感じで下りて行けました。16時10分、千早本道登山口に到着。途中で千早城跡があるけど、今回は距離が長いのでパスしました。ここにもブラシがあったので泥を落としました。六甲山ではほとんど見かけないけど、気付いてないだけなのかな。

駐車場の裏手、川べりに下りていけるようです。

16時15分、金剛登山口バス停に到着。標高は約510mで水越峠とほぼ同じです。

廃止になった金剛バスの乗り場だった場所でバスを待ちます。富田林駅への直通はなくなり、途中で乗り換えになります。このあとの便は17時、18時5分、最終が19時10分ですが、余裕で間に合いました。千早赤阪村は大阪府唯一の村で、いつか行ってみたいと思ってましたが、やっと来ることができました。来たからといって何かある訳でもないですが。登山者の多い山があるにも関わらず、ロープウェイが廃止になり、バスもいつまで存続できるのか気になります。

そのバスですが、故障したそうで乗用車がきました。

千早赤阪村立中学校前バス停で南海バスに乗り継ぎ。

向こうに金剛バスの車両がありました。

17時50分、富田林駅に到着。大阪阿部野橋駅まで直通の準急が来ました。

最後に金剛山と大和葛城山を撮影。徐々に人が増えて満員になりました。着替え持って来なかったので汗臭くて申し訳ない。

ということで、はじめてのコンカツ終了しました。アクセスが悪くなったけど、冬やツツジや紅葉の時期にも訪ねてみようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

大和葛城山〜金剛山 はじめてのコンカツ(前編)

2024年3月30日、日帰りで大和葛城山と金剛山に登りました。

大和葛城山と金剛山は大阪府南河内郡千早赤阪村と奈良県御所市にまたがる金剛山地の山で(金剛山の山頂一帯は御所市)、水越峠を挟んで北と南に位置してます。金剛生駒紀泉国定公園に属し、ともに関西百名山、近畿百名山、大阪50山、奈良百遊山に選ばれ、金剛山は日本二百名山、大和葛城山は日本三百名山と花の百名山に選ばれてます。タイトルに意味ありげな言葉が含まれてますが、情報を調べてたら金剛山を「コン」、大和葛城山を「カツ」と表記してるのを見かけて、「じゃあ二つ合わせてコンカツやな!」ってことで付けただけで深い意味はありません。

登山口までのアクセスとして利用されてきた金剛バスが昨年12月20日でバス事業を廃止し、コミュニティバスなどに引き継がれた路線もありますが、水越峠行きの路線などは引き継がれず、選択の幅が狭くなりました。

今回は河内(かうち)バス停から出発して、弘川寺道経由で大和葛城山に登頂し、水越峠に下りて金剛山に登り返し、山頂広場から千早本道経由で金剛登山口バス停へ下ります。当初は葛城登山口バス停からの周回ルートを考えましたが、バスが廃止されたので縦走ルートにしました。

標準コースタイムは10時間、距離18kmとやや長めで、水越峠まで400m下ってから600m登るので、累積標高差が大きな山行になります。

近鉄の大阪阿部野橋駅を利用するのは初めて。6時20分発の電車に乗って古市駅で南大阪線から長野線に乗り換え。大和葛城山と金剛山が近付いてきました。

7時、富田林駅に到着。もちろんこの駅も初めてです。というか、河内方面はあまり縁がなくて、位置関係があやふやなところもあります。

7時15分発のカナちゃんバスに乗りました。カナちゃんとは河南町(かなんちょう)のキャラクターで、ラッピングされたバスが来ました。

7時40分、河内バス停に到着。冒頭にも書きましたが「かうち」と読みます。てっきり「かわち」だと思ってました。標高は180mくらいです。靴紐を締めようとベンチに座ったら、たわんでしまいました。どうやら背板が取れて強度不足のようです。7時50分、登山開始。

西行法師終焉の地である弘川寺から登っていきます。弘川寺は写ってませんが、左のほうにあります。桜につられて歩いてたら駐車場のほうに入ってしまいました。

しばらく舗装路が続きます。

道沿いを流れる川のせせらぎの音が心地良いです。30分ほど歩いたところで舗装路を離れ、ピンクテープがある細い山道のほうに進みました。わりと目印が多かったです。

左の道は「すぎ・ひのきの道」とのこと。ここは右に進みます。わりと木の枝が落ちてたので、頭上注意しながら歩きました。

大阪方面の展望が開けたところがありましたが、かすんで遠くは見えません。

こういう平坦な尾根歩き、わりと好きです。

なにやら「ブオーン」と吹かす音が聞こえて、林業かなにかの作業でもしてるのかな?と思って碓井谷林道の分岐まで来たら、左のほうでバイクが斜面を登ってました。練習場所なのか、私有地なのか、よく分からないけど。で、また舗装路になりました。ここは直進します。

木漏れ日がきれい。

土砂が崩れてるなと思ったら、その上に木が辛うじて残ってる状態。もう少し崩れたら倒れるだろうし、連鎖したら数十本の倒れるかも。右側は20mはありそうな深い谷になってました。

車用のゲートがあったけど、横からすり抜けて行けました。しばらく歩いて、気付けば沢の音が聞こえなくなり、空が明るくなってきました。そろそろ谷が終わりそうだけど、標高は750mくらいで山頂まで200mあります。

五ッ辻からもうひと登りしてダイヤモンドトレールの道と合流して、さらに葛城山ロープウェイからの道と合流。ダイヤモンドトレール(通称ダイトレ)は、1970年に整備された全長45kmの歩道で、六甲全山縦走路などと並び関西の代表的な縦走路です。

食堂がありましたが営業時間前でした。

食堂の裏に展望デッキがあり、奈良方面が見え、、、ませんね。

山頂への分岐は撮り忘れましたが、この看板とお手洗い(右にある)が目印です。

分岐の足元には石の案内板が埋め込まれてました。もともとは単に葛城山と呼ばれていたけど、他の山と区別するために大和が付いたようです。

山頂までもう少し。

10時5分、大和葛城山(959m)に登頂しました。郵便ポストは毎朝回収に来られるようです。右にあるのは山の案内図です。たまたま誰も居ませんでしたが、山頂を離れるまでに計10人くらい登ってきました。

大阪方面、かすんだままです。

こちらから金剛山を見るのは当然初めて。

とりあえずいつものやつ(撮り忘れて下りかけて戻ってきました)。風が強かったので、ダイトレの分岐まで戻って早めの昼食休憩。

水越峠に向かう途中、こちらのほうが開けてました。

以前は笹に覆われていたけど、1970年頃に笹の花が咲いて一斉に枯れたあとツツジが自生したそうで、5月には一面真っ赤に染まるそうです。近くにパラグライダー広場というのがあるようだけど分かりませんでした。

さて、水越峠に向けて下りが続きます。

途中で振り返って一枚。登りも大変そう。

ちょっと岩がちなところもあったけど、岩場ってほどではないです。

横に水路があっていい感じだけど、道はぬかるんでました。

11時20分、水越峠(517m)に到着。前半終了です。

延々と路上駐車の列が出来てました。現在はトンネルがあるので、峠を走る車は登山者以外ほぼ無いと思われます。

余談ですが、帰ってから地図を見てたら、水越川という川が大阪側と奈良側に流れてて(最終的にはどちらも大和川に合流します)、「どういうこと?」と思って調べたところ、江戸時代に水利権の争いがあったそうです。もともと大阪に流れてたけど、堰を作って奈良に流れるようにして長年利用していたそうで、最終的に幕府の裁きで奈良が勝ったそうです。六甲山でも住吉川の水を芦屋に引いたというのがあったし、どこでも同じようなことがあったんですね。

このあと金剛山に向かいますが、長くなったので後半へと続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

剣山 徳島の海と山を楽しむ旅へ

2022年8月30日、日帰りで剣山に登りました。

剣山は徳島県の最高峰で、西日本では2番目に高い山です。四国山地の東部にあり、日本百名山、新日本百名山、花の百名山、四国百名山に選ばれてます。日本百名山の中では初心者でも登りやすい山ですが、登山口までのアクセスは容易ではなく、貞光駅から1日2便の登山バスを利用するか、徳島市内から車で道幅の狭い国道を2時間ほど運転することになります。

前日に徳島駅の近くで車を借りて、見ノ越で車中泊して早朝から剣山に登りました。次郎笈(じろうぎゅう)まで行く予定でしたが、途中のジロウギュウ峠で引き返すことになりました。

登山の前に、以前から見たかった鳴門の渦潮を見に行くことに。高速バスの乗り場を間違えて、危うく乗り損ねるところでしたが出発直前に乗車。10時35分、鳴門公園口バス停に到着。鳴門海峡大橋を渡ったことは何度かあるけど、降り立ったのは初めてです。

見頃まで2時間以上あるので、周辺を散策したり軽く食事したりしました。

渦潮が大きくなる時刻に合わせて13時発の観光船に乗りました。

橋の下まで来ると、境目でかなりの段差ができてるのが分かります。海峡の北側から南側に潮が流れる状態なので「南流」になります。この南流の時は鳴門側に、北流の時は淡路島側に多く発生するそうです。

橋の南側に行くと渦が出来てました。

上の画像の2秒後、そこそこ大きな渦になりました。出来始めから終わりまで長くても数十秒くらいで消滅します。

進行方向反転して橋と渦のツーショット。

渦ができる場所にあちこち移動します。

そろそろ戻る頃かな?と思ってたら、大きくなりそうなのが目の前に。

渦が大きく落ち込んで、右側が水の壁みたいになって、すごい迫力でした。

大きい船だと上から見下ろせるけど、小さい船だとより近くで見れます。

20分ほどで港に戻ってきました。徳島駅行きのバスに乗りますが本数が少なく、待つのも退屈なので途中まで歩きました。千鳥ヶ浜からの風景を見ながらアオアヲナルトというリゾートホテルの前まで歩いて、14時頃バスに乗りました。

15時20分頃、徳島駅に到着。徳島駅前といえば大きなヤシの木。ちなみに下山後は左のビルにある日帰り温泉に入る予定です。

ここで痛恨のミス発覚。カーシェアを利用する予定なのに、なんと会員証を忘れてしまいました。会員証がないと利用出来ない!と焦りましたが、アプリを使えば利用開始と返却の手続きが出来ると分かりました。とりあえず出発前に遅めの昼ごはん。

コンビニで水や食料を調達して、16時30分出発。途中で尾根がいくつも重なってるのが見えたので車を停めて撮影。もっと手前のほうが良い感じでしたが、そのために引き返すのもなんなので。

剣山までの国道はいわゆる「酷道」で、かなり細い場所や、つづら折りの上り下りがあり、一旦広くなったけどまた狭くなって、さらには落石注意の所もありました。剣山が近付いてきましたが、雲に隠れて見えません。

2時間ちょっとかかりましたが、暗くなる前に見ノ越に到着。標高は1400mほどで気温は15度を下回ってました。食事してから星空撮影。飛行機の点滅の下の山際にある明るい星はさそり座のアンタレス。翌日に備えて早めに横になりましたが、あまり寝心地良くないし、遅い時間に到着する車もあったのでなかなか眠れませんでした。前日に耳栓を購入したけど、アイマスクも買っておけばよかった。

 

翌朝4時頃、ご来光を見るためにまだ暗いうちに登ろうとしたけど、山道に入ってすぐ物音がして、ヘッドライトだけでは心もとなく数分で退却。5時になって薄明るくなった頃に再出発。劔神社の階段を登って境内の右に登山道があります。

40分ほど歩いたところに野営場があります。あまり広くないです。

朝の光に照らされた雲海が広がってました。普段見れない景色なのでテンション爆上がり。

剣山登山リフトの西島駅(撮り忘れた)を過ぎて登っていくと、刀掛の松というのがありました。

雲海から頭を出した山は高城山。山頂付近に見える塔のようなものは雨量観測所だそうです。

四国山地の山々。中央左の奥のほうに石鎚山と思われる山がうっすら写ってました。青紫の花を見かけて撮影したけど風が強くてブレてたのでボツにしましたが、トリカブトの花でした。撮影した時は気付いてなかったけど、この時が初対面だったようです。

6時20分、剣山頂上ヒュッテに着きました。

隣には劔山本宮宝蔵石神社があります。後ろにある岩が御神体の宝蔵石で、安徳天皇が宝剣を納めたとされているそうです。

神社横の階段を登って山頂を目指します。

雲海が山にせき止められて、左に深い谷が刻まれているのが見えます。

影剣山(たぶん)が見えました。中央左寄りの山がおそらく三嶺(みうね)で、剣山から三嶺までの縦走がすごく良いそうです。

山頂周辺は木道が敷設されてます。

6時35分、剣山(1955m)に登頂。日本百名山4座目です。

向こうに見えるのが次郎笈。休憩してからあそこまで行く予定でした。

ところが、休憩してるうちに急速でガスってきました。とりあえず行くことに。思ってたより結構下ります。

もう少し先まで歩いたと思うけど、このまま進んでも景色見れなさそうだし、天候が急変すると困るのでジロウギュウ峠で撤退。

次郎笈まで行けなかったので結果的に無駄な登り返し。ウインドブレーカーに水蒸気が結露して、気付いたらかなり濡れてました。

50m先も見えない状態。これはこれで幻想的ですけどね。

ヒュッテまで戻って、7時50分、下山開始。登る時はまだ動いてなかったリフトが動いてました。リフトを使えば半分くらい時間短縮できます。

順調に下って、8時40分、登山口に到着。

登山口から駐車場までは数分です。駐車場の奥にリフト乗り場があります。

着替えて少し休んでから、9時20分頃に駐車場を出発。もう少し先まで行けば祖谷のかずら橋があるけど、早めに徳島市内に戻ることに。お昼前に眉山(びざん、290m)の山頂駐車場に着いたけど、雨が降ってたので車の中で待機。雨が止んでから眉山ロープウェイの展望台へ行ったけど、ガスってて残念な景色でした。

車を返却して駅前の日帰り温泉へ。帰りは不測の事態も考慮して少し遅めのバスを予約してたので、喫茶店に入ったりして夕方のバスで帰路につきました。

ということで、行き帰りが大変でしたが、渦潮や雲海なども見れて大満足でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。